現在における望まれる医師の役割---研修医のみなさんへ

卒業直後の若い研修医に「医師になって何をしたいか」を訪ねると、「患者の病気を直したい」との意見が多い.医師はほんとうにそのようなことが可能なのであろうか?また、医師の役割は何であろう.医師という職業は分類上サービス業に属する.病気の性質やその治療法を説明し、患者に納得させるのも大切であるが、時には嘘をついて受診後に気分を良くさせることも必要である.なぜなら、内科疾患ではほとんどが慢性疾患であり、それを持ちながら病気と仲良く暮らしていく必要があるからである.我々にできることは、神から与えられた自然治癒の能力を援助するのみであるということを自覚する必要がある.

各治療には、その時代時代で定められた適応と禁忌がある.かつて禁忌だったことが10年後に適応となってきていることも多い.では「適応と禁忌」とはなんだろう.私は循環器内科医として勤務しているが、循環器領域で考えれば、3枝病変の虚血性心疾患において、症状があり運動負荷で虚血の徴候がみられれば、誰もがバイパス手術を勧めるだろう.しかし、その患者が無症状で検診の運動負荷心電図でこの異常が発見されればどうだろうか.バイパス手術には3%の手術時死亡が見込まれ、患者が手術の必要性と危険率を了解すれば適応である.適応は絶対的なものではなく、患者の人生哲学に左右される.同様のことが禁忌にもいえる.手術成功率が50%であっても患者が苦しんでいれば手術適応となるように思える.

現在では最高の医療であると考えられても、20年たってはじめてその治療の本当の評価が下される.このことは医学の歴史が証明している.40年前、肺結核に対し施行された人工気胸術は当時は有用と考えられたが、現在70歳以上の人でその後遺症による低肺機能に苦しんでいる人は多い.20年前の心臓手術をうけた症例の中には、手術中に大量の輸血を受けた人が多い.そのうち、肝硬変、肝癌となってきている症例が現在では無視できない数字で存在する.当時はこれを誰が予想しただろうか.現在、循環器で評価の高い冠動脈内ステントも20年先の評価は誰にもわからない.決して狭心症が治るわけではない.

現在の治療の評価は歴史がしてくれる.医療に絶対ということはなく、我々は人体についてほんの一部を理解しているにすぎない.しからば、いつも患者を観察し、患者からなにかを教えていただくという謙虚な姿勢を持つべきであると思う.一方、知識として発達する医学をつねに勉強することも必要である.研修医の人たちに希望することは、頭脳の柔軟な二度とこない研修医時代にこれらのことを理解して患者にとって良い医者になるように努力をしてほしいことである.